多くの人が自分の生きたい道を生きる方法を模索している

先日、元ZOZOTOWN社長の前澤さんが「直撃!シンソウ坂上」に出演していたんですよ。

彼はある意味ぶっ飛んでいるので、世間一般的には批判されることも多いので大変だと思うんですけど、彼の理念や展望を聞いていると、思わず泣いてしまいそうなほど志が高い。高いというか広いというか宇宙的。

あの穏やかな笑顔を見ていると

もしかして仏陀の生まれ変わりか何かかな?

と思ってしまいます。

絵画に何十億突っ込む心意気は私にはよくわかりませんが(笑)
でも、それを無駄遣いって言ってしまうのは、なんか違うんじゃない?とも思います。

金持ちの道楽と言ってしまえば終わりですが、そうやって何十億というお金が動くことで、芸術で生きて行っている人にとっては、自分の才能や芸術、可能性をさらに広げて行くことができるしね。

ただの所有欲で彼も絵画を収集しているわけではないと思うんですよ。まぁ、それもあるにはあるんだろうけど。

で、一番印象に残ったのが

「世の中からお金をなくしたい」という発言。

あまりにも生活に密着しすぎている「お金」というツールについての話だったので、突拍子もないような発言に坂上さんも訝し気に話を聞いていましたが、私はそれを聞いたときに

この人…人類の先に立つ人だなぁ、殺されませんように。

そう思ったし、泣きたくなった。あ、嬉しくての方の涙。

Jonny LindnerによるPixabayからの画像

お金という間接的なツールを取っ払って、欲しい人が欲しいものを得る、与えたい人が与えたいものを与える。このやりとりだけで世界を成り立たせたい。

これって、人間社会に染まりきっていると、いやいや絶対無理ですやん!ってなると思うし、まだ大多数の人がそう思うと思うんですよ。

でも、スピリチュアルなことが好きな人や、精神世界とかそういうのに興味を持って色んなものを読んだり聞いたり、実践している人にとっては、これはもう結構前から言われていることですよね。

私が約10年ちょっと前に「宇宙人アミ」を読んだ時に、似たような話が描かれていて、大いに刺激を受けました。

精神レベルが進化した星では、「所有」ということをしない。車だって乗りたい人が乗りたい時にそこにあるものを乗って、乗り終わったらそこにおいておけば、そこから使いたい人がまたそれに乗るんだって。

本の中の地球人である主人公は「そんなの嫌だ。愛着のある自分の車を他の人が勝手に使うなんて許せないよ」っていうんだけど(笑)

でも、今の世の中ってだんだんそっちに向かっていると思うんですよね。
カーリースのサービスも人気が出てきているし、そもそも若者世代に「所有欲」とか「物欲」がなくなってきている人が多い。

「お金がなくなったらいい」という話に戻ると、前澤さんは「すべてのものがタダ(無料)になったらいいんです。」と言って、それに対して坂上さんが「いやいや、そしたらコンビニに売ってるような食べ物を?」前澤さん「食べたければ好きなものを持って行けばいいだけですよ」

「そんなことしたら供給する側はどうするんです?タダのものを作り出す労力とかに対する対価は?」

「それぞれがやりたいことをやればいい。作り出した人も対価は必要ない。だってその対価で得たいもの(お金と交換したいもの)はタダなんだから、好きなものを持って行けばいい」

坂上さんは、それはいい!!!って感じではなくて、色々言いたいことがありそうな顔をしていました(笑)

たぶん

そんなことしたら、みんなが嫌がるような仕事や汚い仕事をする人がいなくなるんじゃない?

そんなことしたら、とんでもなくたくさんのものを強奪していく人がいるんじゃない?

とかそういうことを思ったんじゃないかと思うんだけど。

仕事に関しては難しい部分があるよね。
でも多くのことは意外とうまく行くと私も思っている。

例えば、ある人は掃除が大の苦手。
ある人は、料理をするのが大の苦手。
ある人は、機械を運転したり操作するのが大の苦手。
ある人は、文章を書いたり言葉を紡ぐことが大の苦手。
ある人は、を見るのが大の苦手。
ある人は、計算をするのがとにかく苦手。
ある人は、誰かに何かを教えるというのが大の苦手。

こういう人たちにとって、その苦手なものを好き好んでする人の気がしれないし、そんなの大金を積まれてもやりたくないっ!と思うと思うんです。そして、世の中の多くの人もきっとそうだと。

だけど、ここには大きな誤解があって。
人って、自分が思うことを大体多くの人もそう思うはずだ…と思いこんでいるところがある、自然と。

だけど、世の中に存在するものって本当にユニークで、もちろん大多数を占める思考とか趣向ってのもあるんだけど、決して重ならないものも存在するのがこの世界の良いところでもある。

掃除することが好きで好きで仕方ない人がいる。お金をもらわなくても友人の家に行って部屋が汚いと、我慢できなくてつい人の部屋なのに掃除をしてしまう人がいる(笑)

「美味しい♪」さえ言えば…いや、そう言ってくれる人がいる限り、いくらでも料理を作ってしまう人がいる。

人とコミュニケーションをとるくらいなら、家にこもって延々と文章をこねくりまわしていたい人がいる。

細かいパーツや機械をひたすら組み立てたい欲にかられてどうしようもない人もいれば、大きな機械を自分一人であれこれと運転したい!と思い続ける人もいる。

自分の知識の保持率はともかく、自分が知っていることをとにかく事細かに説明したり教えたりしたがる人がいる。

思っているより、自分が絶対にやりたくないことをやりたくて仕方ない人というのは世の中に存在する

自分がやりたいことだけをやっていればいい。というと、そこで競合が起きそう!と思ってしまうことがもしかしたら、大きな間違いかもしれなくて、意外といっせーの!で好きなことをし始めたら、意外と意外とうまく折り合うかもしれないのだ。

私は、アクセサリーを作ったりするのが結構好きで、本当趣味で作っていたりすると、それを見て友人が「私にこんなものを作ってくれない?」というから、「意外と簡単に作れるから作ってみれば?」というと、

「っっっ!!!!絶対無理!私そういうこまごましたものを見るのも作るのも嫌なの!!お金は出すから作って欲しい!」

と言われたことがありました。

「そんなに手が器用じゃなくても、意外と出来るよ?」と食い下がってみましたが、「不器用は不器用だけど、そういう問題じゃなくて、作りたくないの(笑)というか、あなた気づいてないかもしれないけどめちゃくちゃ器用だからね?器用な人に器用じゃなくても出来るって言われても信じられないわ(笑)」と。

私は完成品よりも作ること自体に楽しみを見出していたタイプだったので、その発言を聞いたときに、そんな人もいるんだなぁ~と思ったし、自分がそんなに苦も無くやっていることって、他の人にとっては凄い!って思われるようなことなのかぁ…と、とても不思議な気分になりました。

自分の得意なこととか向いていることって、自分では気づきにくいって言われることがあるけど、あまりにも自然に、苦労なく、むしろ楽しささえ感じながらやっていることって、確かに「頑張ったーーー!!!」って気持ちがない分、「やってる感」を感じなくて、特技としては気づきにくいのかもしれません。

さっきと逆を言えば、自分がやりたくて仕方ない!ってことも、誰かにとっては絶対にやりたくないこと!だったりするわけです。

料理つくるのが好きで、食べてくれる人が「美味しい♪」って言ってくれるだけでいくらでも色んなものを作りたい!って思う人にとって、料理を作りたくない!お金もらっても嫌だ!って思う人がいることにびっくりするかもしれません。

なんでこんな楽しいのに!?なんでこんな嬉しいのに?って。

でも、世の中にはそうやって色んな性質や趣向を持った人がいるから成り立っている。今はお金のせいで「お金がもらえるから仕方なくやっている…」という人も多いかもしれないけど、前澤さんも言っていたけど、「イヤイヤやっている仕事の効率はあまりよくない。(大したものは提供できない)」なんですよね。

「僕は、にこにこ楽しそうに仕事している人から物を買いたいし、なんだこんな糞みたいな仕事!って思いながら嫌そうな顔とダルそうな態度の人から何かを提供してもらいたくはない」

この意見には多くの人が同意するんじゃないでしょうか。

お金というツールがなくなれば、もっと面白い世界になる。
前澤さんが「多分それはやろうと思えばやれると思う」
そう思い描いている世界が本当に実現したら私もその世界に住んでみたい。

お金というツールがあることで、幻想の価値も生み出し、そこに所有欲というものが乗り、持つものと持たざるものの誕生により世の中は苦しくなっているんじゃないかって思うんですよね。

どれもがいつでも好きなだけ得ていいとなったら、きっと多くの人が想像している「誰かが誰かより多く持って行こうとするんじゃないか?独り占めしようとするのでは?」という出来事はあまり起きないかもしれないと思う。

だって、空気もなくなるかもしれない…と分かっていたら搾取争奪戦が起きるだろうけど、いつでも吸えるから(今まだこの世の中では)、誰も空気を巡って争ったり高額で買ったりしない。

占領しなくても、好きな時に吸えるからね。

なにで見たか忘れたんだけど、年収何千万以上になると、幸福度はそれ以上あがらず、横ばいになる…っていう統計があって。

使いきれないくらいの大金を得てしまうと、これが欲しいから頑張って稼ごう!とか、これをやりたいから幾ら必要だろうか?と考えることもなく、こうしたいと思ったら好きなだけできるし行けるし…って状態になると、じゃあ別にやらなくてもよくない?みたいな無気力になったりするそう。

無気力にならなくても、これを幾ら出して買ったんだぜ!!みたいな高揚感はなくなる。手に入れられて嬉しいということはあっても、それ=いくらの金額を積んだ!凄い!って言うのではないっていう感じ?

元々、お金に関係なくやりたいことが沢山ある人には当てはまらないかもしれないけど、それを良いほうに当てはめると、つまりお金が使いきれないくらいある=お金を対価として使うという感覚がなくなる=お金がないような世界

ということで、とんでもない高額取得者っていうのは、お金をもっていながら、この「お金のない世界」を体感できているんじゃないかと思うんですよ。

だから前澤さんは、自分が感じている世界をみんなにも感じてほしいと思っているんじゃないだろうかと。

実際は大金を使っているわけだけど…うーん、文章にしても伝わりにくいだろうね。私は大金を持ったことはないけど、仮に自分が到底使い切れないレベルの大金を持ったら…と想像してみて欲しい。

例えば3億くらいだったら、使い方によっちゃー使い切れるでしょう?
あれを買って、これで資産を増やす資金にして…不動産をなんとかして…とか考えれば3億を当てあがえちゃうと思う(笑)

だけど、いくら使っても使っても、とにかくなくならないの。
幾らあります!じゃなくて、使っても使ってもどんんどん増え続けると思って考えてみるといいかも。

そしたら、何にいくら使ってもとにかく無くならないそのお金は、後幾ら残っているからどう使おうと考えることも必要じゃなくなって、お金はあって無いようなものって感覚になりません?

私の雑文に疲れてきましたか(笑)

でしょうね。私も着地点が見つからなくて困ってます(笑)

でも、今日はちょっとそんな妄想をしてみてほしい。

前澤さんが、お金のない世界をつくるには、世界で一斉にお金というものをなくさないといけない。と言っていて。

それ…結構難しいのでは?と思ったんだけど。
もし前澤さんみたいに「お金のない世界は作れると思う(そして、そうなったらいいな)」と思う人口比率が増えて行けばね、いつか融点的なものに到達したときに、世界は変わるんじゃないかと思うの。

人って、集合意識で下の方で繋がっているっていうでしょう。
今は「お金なくちゃ生きていけないでしょ」って意識の人がまだまだ多いから、そういう世界が繰り広げられているけど、「お金のない世界が楽しくていいでしょ!そうしよう」って意識が増えれば、ひっくり返ることもあると思う。

そしたらね、やりたい仕事があるけどお金の関係とか生活の関係でできないんだよね…。そう言っている人たちが、好きなように生きていけるようになるよ。

でも、その時気付くかもしれないけどね。
お金のせいにしてたけど、本当はそんなことやりたいことじゃなかった…って(笑)

ダラダラしてたいだけの人もいると思うから。

でも、ダラダラしてたいだけの人も、何かをしているからね。何かは。
世界にとっては、地球や人類にとっては、それはそれで必要なのかもしれないし。

私は私のやりたいことをやりたいし
あなたがあなたのやりたいことをできるようになってほしい
世界はそうであってほしい

着地した?

してない気もするけど、終わっていいですか(笑)

仕方ないので、スッキリした思考回路ですっきりした文章を連ねた前澤さんが2018年にnoteに書いた「僕が考える世界を平和にする方法」をリンクしておきます。

私にとっては、読むと凄く清々しい気持ちになります。

本当に私が生きているうちにこんな世の中になったら、しわしわのおばあちゃんの顔で「なんていい時代になったんだろう」って言いたい。


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